主に女優やタレントとして活躍されていたあき竹城さん。2022年12月に大腸癌のため75歳で亡くなってしまい、その訃報に心を痛めた方も非常に多かったことでしょう。
あき竹城さんを惜しむ声が非常に多くの界隈から寄せられた一方、近年になってこれまでのあき竹城さんのキャリアに再び脚光が集まり始めています。女優やタレントとして昭和・平成の時代の日本を盛り上げてくれたあき竹城さんはどのような生涯を歩まれたのでしょうか。
本記事ではあき竹城さんの若い頃の活動を中心に、基本情報をまとめたプロフィールや簡単な経歴について紹介します。
あき竹城について
あき竹城さんの若い頃の活動を紹介する前に、まずは本記事で取り上げるあき竹城さんについて詳しくお伝えしたいと思います。最初にあき竹城さんの基本情報をまとめたプロフィールを作成したのでご覧ください。
- 本名:竹田 明子(たけだ あきこ)
- 生年月日:1947年4月4日
- 出身:山形県米沢市
- 身長:167センチ
- 職業:女優、タレント、ダンサー
- 活動歴:1974年
次からは幼少期から芸能活動をはじめるまでを中心に、あき竹城さんの歩んできた経歴をみていきましょう。
あき竹城の経歴
山形県米沢市で育ったあき竹城さんは、宝塚歌劇団に憧れて幼少期からダンスを習っていました。高校時代より本格的なダンス活動に身を入れるため、高校を中退してフロアダンサーとして大阪に上京。以降はダンサーとして全国各地を回りながらテレビ出演の機会を増やしていくと、1976年からは女優としての活動も始めます。女優としては映画「マルタイの女」やNHK大河ドラマ「天地人」などを代表作とし、実に多くの作品に出演してはバリエーション豊かな登場人物を演じきりました。コミカルな人物からシリアスな役まで、その演技力の高さから今でもなお日本屈指の枠役として高く評価されています。
あき竹城の若い頃は超セクシーだった?
ここからは本題に入りまして、あき竹城さんの若い頃について紹介していきます。実はネット上ではあき竹城さんの若い頃が非常にセクシーだったという噂を耳にしますが、その噂は本当なのでしょうか。
結論から言うとその噂は本当であり、あき竹城さんは女優として出演した「楢山節考」にて、かなり過激な濡れ場シーンを演じています。1983年に上映された当映画は非常に評価が高く、あき竹城さんの名前を有名にさせたキッカケにもなりました。かなりの人気を集めた作品だけに、過激な濡れ場シーンを堂々と演じたあき竹城さんに対してセクシーな印象を持った方も多かったのではないでしょうか。
あき竹城は昔ストリッパーだったって本当?
女優として人気作品で濡れ場シーンを演じただけではなく、実はあき竹城さんはストリッパーと呼ばれるヌードダンサーとしても活動していた経歴があります。ストリッパーとして活動していたのは女優として軌道に乗る前までだったようですが、セクシーな姿だけでなくその明るい持ち前の性格も相まって非常に人気の高い方だったそうです。直近では「元気のいいおばちゃん」といった印象が強いあき竹城さんですが、昔を知る知人は口を揃えて「若い頃はセクシーだった」と明かしています。そのような声を聞く限り、あき竹城さんの若い頃はセクシーだったという評判は確かなようですね。
まとめ
本記事ではあき竹城さんの若い頃を筆頭に、プロフィールや経歴などを紹介しましたがいかがでしたか。気さくな人柄で大勢の方から愛されたあき竹城さんですが、若い頃はかなりセクシーな方として人気を集めていたことが分かったかと思います。
残念ながら闘病の末にあき竹城さんは2022年に亡くなってしまいました。ですがあき竹城さんが出演した作品の多くは今でも視聴することができるので、一度あき竹城さんの若い頃を見てみるのはいかがでしょうか。近年の印象とは違い、また別のあき竹城さんの魅力を知ることができると思いますよ。