1990年代のプロ野球には様々な助っ人外国人選手が在籍し、素晴らしい活躍を見せてくれた選手もたくさんいました。入金不要ボーナスやフリーベットがもらえるブックメーカーでのスポーツベットも盛り上がりましたよね!
今回はそんな90年代に活躍したレジェンド級の助っ人外国人選手を振り返っていきます。
90年代に活躍したレジェンド級の助っ人外国人選手!
それでは早速、90年代に活躍した助っ人外国人選手を見ていきましょう。
ラルフ・ブライアント(近鉄)
まずはブライアントです。ブライアントと言えば88年の10・19や89年の西武とのダブルヘッダーでの4打数連続ホームランで優勝を呼び寄せるなど、80年代にも大活躍しましたが、90年代も凄かったのです。
年間最多三振のNPB記録保持者
ブライアントの代名詞と言えるのが「ホームランか三振か」と表現されるバッティングです。日本での8シーズンで5度三振王になっています。極めつけは1993年。年間204三振を記録し、今でもNPBの年間最多三振記録です。
普通こんなに三振をしては活躍できないものなのですが、ブライアントの凄いところは204三振を記録しながらその年のホームラン王になっているところです。翌年も三振王でありながらホームラン王を獲得しています。
オレステス・デストラーデ(西武)
そのブライアントにホームラン数で勝ったのがデストラーデです。デストラーデは1990年~1992年まで3年連続でホームラン王になっています。またその間、年間盗塁数は2桁を記録しており、守備以外にこれといった穴がなかったのもデストラーデの凄さと言えます。
西武黄金期の助っ人外国人選手だった
デストラーデが活躍した90年代前半は、所属していた西武の黄金期でした。特に秋山幸二、清原和博と組むクリーンアップは「AKD砲」と呼ばれ、他球団の脅威でした。最強のクリーンアップとして現在でも語り草になっています。
郭泰源(西武)
そんな西武黄金期に投手として活躍したのが台湾出身の郭泰源です。80年代から在籍し、既に成績は残していましたが、90年代も凄かった助っ人外国人選手です。オリエンタル・エクスプレスと呼ばれる剛速球投手として鳴らし、最高勝率2回、1991年にはパリーグMVPにも輝いています。
台湾球界発展に貢献も
引退後は台湾に戻り、国内リーグの顧問も務めました。西武黄金期に同じくエース格だった渡辺久信を選手兼コーチとして招聘し、石井丈裕の台湾球界入りも斡旋するなど台湾球界発展にも貢献しました。また台湾選手の日本球界入りのアシストもしていたそうです。その後もWBCでチャイニーズタイペイ代表監督などを務めました。
トーマス・オマリー(阪神、ヤクルト)
続いてはオマリーです。1991年に入団しいきなり3割20本塁打をクリアすると、翌年は移籍してきたパチョレックや若手の新庄や亀山らとともに活躍、当時は毎年下位に沈んでいた阪神を2位にまで躍進させました。
日本での全シーズン3割打つ
オマリーは阪神とヤクルトで、通算6シーズンNPBに在籍しましたが、その全てのシーズンで打率3割を打った助っ人外国人選手です。ヤクルトに移籍した1995年には31本塁打も放ち、チームの日本一にも貢献しました。日本シリーズでのオリックス小林宏投手との名勝負は名場面として語り継がれています。
ロバート・ローズ(横浜)
続いてはローズです。ローズと言えば1998年の横浜38年ぶりの優勝に大きく貢献した助っ人外国人選手として知られています。横浜には8年在籍し打率3割7回、優勝した1998年も凄かったですが、翌1999年には打率3割6分9厘、192安打、153打点とまさに無双状態でした。
来日当初は格安助っ人だった
そんなローズですが、最初から打撃を期待されていたわけではありませんでした。来日1年目の年俸は35万ドルとも言われ、当時の助っ人外国人選手の中でも安い方でした。しかしいざ開幕すると確実性の高い打撃を見せ、打点王に輝きます。よほど日本があるいは横浜というチームが合っていたのでしょう。
まだまだいる!90年代に活躍した助っ人外国人選手
ここまで挙げた以外にも90年代に活躍した外国人選手はまだまだいます。3年連続で首位打者を獲得したパウエル(中日)や、韓国から鳴り物入りで来日し大魔神佐々木とセーブ王を競った宣銅烈(中日)。メジャーリーグの超大物として来日しイチローとも首位打者を争ったフランコ(ロッテ)、ヤクルトの優勝に貢献したハウエル(ヤクルト)、キャッチャーもこなしたディアズ(ロッテ)など、挙げればキリがないです。
まとめ
今回はプロ野球90年代に活躍した助っ人外国人選手を振り返ってきました。凄い選手が多かった時代と言えますね。最近はNPBのレベルも上がり、なかなかかつてのような助っ人外国人選手は少なくなってきています。
それでもまた「レジェンド」と呼べるような選手がやってくるかも知れません。今後も助っ人外国人選手に注目していきましょう。