デーデー・ブルーノ選手、今まで名前を聞いたことがない選手でしたが、陸上日本選手権から大注目になっていますね。
名前も一度聞いたら忘れられないインパクトのある名前。
そして、デーデー・ブルーノ選手は、陸上歴まだ5年というから驚きです!
デーデー・ブルーノ選手は、黒人系のハーフということもあり、足が速いイメージがあります。
過去のオリンピックでも、黒人系の選手が金メダルを取っている人が多いですね。
例えば、ウサイン・ボルトや、ちょっと前のカール・ルイスが有名です。
デーデー・ブルーノ選手の両親も足が速いのでしょうか?
今回は、デーデー・ブルーノ選手の両親の国籍、顔画像、家族構成、そして、本人の経歴などもまとめていきたいと思います。
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デーデー・ブルーノの家族構成は?
デーデー・ブルーノ選手は、長野県松本市で生まれ育ちました。
家族は、父親、母親、そして、2歳上の兄がいます。
デーデー・ブルーノ選手は、陸上歴5年ですが、それまではサッカーをしていました。
サッカーを始めたきっかけは、兄がサッカーをしていたこと。
兄の影響で、小学2年生からサッカーを始め、創造学園の1年生秋まではサッカー部に所属していました。
サッカーに興味を持たせた兄の存在も気になるところです。
デーデー・ブルーノの両親(父・母)の国籍は?兄はどんな人?(顔画像あり)
それでは、父親、母親、兄について詳しく見ていきましょう!
デーデー・ブルーノの父親はどんな人?
デーデー・ブルーノ選手の父親は、デーデー・ピーターさんと言います。
ピーターさんは、ナイジェリア出身の56歳の方です。
職業などはまだ分かっていませんが、現在長野県にお住まいです。
ピーターさんは、デーデー・ブルーノ選手が代表に選ばれたことに、
嬉しいです。
そこまでいけると思わなかった。
びっくりしました。
引用元:FNNプライムオンライン
やると決めたことは真面目に取り組むので、絶対うまくいくと思いました。
金メダルを取ってもらいたい。
引用元:NHK NEWS WEB
と期待をしているようです。
一方、「1年以上会っていない。正直寂しい」とも言っています。
父親は、我が子の近くにいたいのかもしれませんね。
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デーデー・ブルーノの母親はどんな人?
デーデー・ブルーノ選手の母親は、デーデー・千秋さんという名前です。
千秋さん、ということで、母親は日本人です。
まさか、テレビに出るなんて想像もしていなかったのでしょうね。
今回、オリンピック代表に選ばれた時のコメントとして
嬉しい反面、不安もあります。
けれど、子どもにはよく頑張ったな、と言いたい。
引用元:FNNプライムオンライン
と言っています。
デーデー・ブルーノ選手の足の速さは、食生活が影響をしたのでは?と思っているようです。
ほぼほぼ毎日、夕飯は肉、そして水の代わりに牛乳。
家で焼き肉をすると、2キロのお肉を買うと、家族は1キロ、残りの1キロをブルーノが食べた。
引用元:FNNプライムオンライン
そうです。凄まじい食欲!
また、
子供の時からデーデー・ブルーノ選手を見守ってきて、我が子のことを
興味のないことは見向きもしない性格なので、勉強は全くダメ。
陸上は楽しんでいることが伝わってきた。
陸上の仲間とは互いに認め合い、向上心を持って練習に取り組んでいた。
引用元:NHK NEWS WEB
と言っていました。
人間、やはり興味があること、楽しいことは成長をさせてくれますね。
デーデー・ブルーノの兄はどんな人?
デーデー・ブルーノ選手の兄は、名前をアンドリューさんと言い、2歳上のお兄さんです。
デーデー・ブルーノ選手が現在21歳なので、23,4歳だと思われます。
デーデー・ブルーノ選手は、兄のアンドリューさんの影響で始めたサッカーでしたが、高校で伸び悩んでサッカー部を辞めてしまいました。
兄のアンドリューさんは、ずっとサッカーを続けてきたかはわかっていません。
現在23~4歳ということで、おそらく仕事をされているのではないかと思いますが、詳しい情報はまだ分かっていません。
デーデー・ブルーノの経歴は?
東京オリンピックでリレーの選手に選ばれるまでに成長しているデーデー・ブルーノ選手は、どのような経歴があるのでしょうか。
いろいろ調べてみました。
まずは簡単なプロフィールから。
デーデー・ブルーノと陸上の出会い
デーデー・ブルーノ選手は、実は子供の時はサッカーに夢中な子供時代を過ごしていました。
先述しましたが、兄の影響で小学2年生からのサッカー少年。
中学、そして高校に入ってもサッカー選手としてプレーをしていたのですが、ボールコントロールに難があったそうで、メンバー入りが出来ず、サッカーを辞めていました。
その後、高校2年生で陸上部に入っています。
もともと足が速く、小中学校を通じてリレーの選手だったこともあり、友人の勧めもあって入部をしたそうです。
この時が、陸上と出会うきっかけになっています。
その当時の陸上部のコーチ・下里直弥さんは、
出会って一週間後の練習で、地面を捉える強さ、重心を前に移動させる動作にひかるものがあった。
陸上の経験が無い分、いろいろな先生に聞いたり、自分なりにいいと思った練習を積極的に取り入れたことが、強さへのプラスに働いた。
引用元:NHK NEWS WEB
と話しています。
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デーデー・ブルーノ大学でよき指導者と出会う
デーデー・ブルーノ選手は、東海大学体育学部へ入学をすると、素晴らしい2人の指導者と出会うことになりました。
1人目が高野進さん。
この方は、東海大学陸上競技部監督であり、北京とロンドンオリンピックでは陸上競技日本選手団の監督でもあります。
そして2人目が、塚原直貴さん。
塚原さんは、専門が短距離走、そして、北京オリンピックにも出場していた方です。
塚原さんは、デーデー・ブルーノ選手の事を
彼の強みは一本、一本ラウンドを踏んだレースが研ぎ澄まされていくところが、上で戦う選手として大事な部分。
牙をむき出しにしない、牙をむかない心優しい野獣と言うか、そんな感じをすごく感じるので、彼のひょうひょうとした感じはある意味強み。
引用元:FNNオンライン
と話していました。
2人の有能な指導者と出会うことで、デーデー・ブルーノ選手は力をつけていったのですね。
大学2年生の時には、第30回ユニバーシアード競技大会の日本代表に選ばれています。
その大会では4×100mリレーでアンカーを務めて金メダルを獲得しています。
今回、東京オリンピックでもリレーの選手として選ばれています。
何走を走るのかは分かりませんが、秒速11.38mの最高速度を持っています。
もしかしたら、アンカーもあり得るかも・・・
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まとめ
デーデー・ブルーノ選手は、陸上歴5年というなかで、スポンジのようにいろいろなことを吸収し、成長してきたように見受けられます。
陸上競技の中で、リレーは注目度が高いです。
100m、200mでは第2位としながらも代表に選ばれることはありませんでしたね。
その分、リレーで頑張って欲しいと願っています。