2018年、フィギュアスケート・ジュニアグランプリ・ファイナル3位の島田高志郎さんが、2021年ではシニアとして出場。
2021年10月30日の東日本選手権では、2位に15点以上の差をつけて首位発進しています。
少年の顔つきから大人の男性に変わり、また実力もつけ魅力的になってきています。
島田高志郎さんの活躍は、家族全員が喜んでいることでしょう。
今回は、島田高志郎さんを支えてきていた父親についてまとめてみたいと思います。
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島田高志郎のプロフィール
まずは、島田高志郎さんのプロフィールをまとめてみました
島田高志郎さんがスケートを始めたのは、6歳の時。
愛媛県でスケートをしていたんですが、もっとスケートをやりたい!と思って、母親と一緒に岡山県にスケート留学をしているんです。
岡山には365日開いているスケートリンク、岡山国際スケートリンクがあります。
中学生の時には、すでに注目をされていたみたいで、テレビの取材までありました。
その当時の身長は、146㎝と小柄。でもスケートが綺麗で、羽生選手に続く選手と注目の的でした。
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島田高志郎の父親の職業は?
島田高志郎さんの父親の名前は、島田雄二郎さん。
島田雄二郎さんの出身地は、神奈川県横浜市。神奈川県立光陵高等学校を卒業後、慶應大学経済学部に入学しています。
とても頭がいい方ですね。
その後は、損害保険ジャパン(現損害保険ジャパン日本興亜)の取締役まで勤めています。
2006年には損害保険ジャパンを退職し、愛媛銀行の常務取締役として仕事されたすごい方です。
島田高志郎の父親は様々な習い事をさせるほど高収入だった?
島田高志郎さんは、小さい時からいろんな習い事をさせてもらえていました。
- 水泳
- 体操
- ダンス
- テニス
- スケート
すごくないですか?毎日何かをしていた、て言うことですよね。
島田高志郎さんは、その中でもスケートが、練習すれば目に見えて上達していくのが楽しくて、だんだんスケートにのめりこんでいったみたいです。
それにしても、これだけの習い事をさせてもらえるだけ、こう収入だったでしょうね。取締役レベルになると、お給料もさぞかし良かったでしょうし。
島田高志郎さんには二人の兄がいて、高史郎さんは三男。
兄とは、年が結構離れているようで、高史郎さんが母親と一緒に岡山に住み、スケート留学している時は、すでに二人の兄は、愛媛県松山市で家庭を持っていたというのです。
島田雄二郎さんにとっては、自分が年齢を重ねてから生まれてきてくれた三男の高史郎さんが、可愛くて仕方がなかったんでしょうね。
2人の兄が家庭を持っていたこともあり、金銭面でも精一杯の応援をしていたかったのではないかと推測してしまいます。
ちなみに、高史郎さんが岡山にいた時は、父親の雄二郎さんは今治で単身赴任だったと言います。
当時の島田雄二郎さんのFacebookでは、高史郎さんがプロフィール画像になっていました。
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島田高志郎の父親の現在は?
島田高志郎さんの父親・島田雄二郎さん。実はすでに亡くなっているのです。
亡くなった日は、2015年4月20日、肺がんでした。
まだ62歳ですよ。若くてこれから息子・島田高志郎さんを応援したかったはず。
島田高志郎さんは、その時はまだ13歳。
中学生で父親を亡くしてしまうことは、どれだけ辛かったことか。辛かったのは、もちろん母親や兄弟もです。
母親の気持ちを考えると、辛いですね。
島田高志郎はスイスへ
島田高志郎さんは、中学3年生の時に、単身スイスへ渡っています。
スイスへ行ったのは、ステファン・ランビエル・コーチに師事を仰ぐため。
ステファン・ランビエル・コーチは、2006年トリノ五輪で銀メダルを取ったコーチで、宇野昌磨さんも師事しています。
単身スイスへ渡ったことは、苦労もあったと思います。
行く前には、特に英語を上達させたわけではなく、自炊もしなくてはならない。
中学3年生の時に海外に行って、そのとき全くのゼロの状態。
初めていきなり海外に放り出されたという感じ。
引用元:早稲田スポーツ新聞会
その努力があって、今現在シニアで活躍できるレベルになってきたんでしょうね。
自分が何かをやり遂げたいという気持ちが、スイスという道を選ぶことになったのではないでしょうか。
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まとめ
島田高志郎さんの活躍は、きっと天国にいる父親・島田雄二郎も喜んでいると思います。
2021年の東日本選手権では、コロナ渦ということもあり、ステファン・ランビエル・コーチはスイスから応援という形を取っています。
日本滞在中の指導者は、ステファン・ランビエル・コーチに紹介された本田武史コーチとともに戦っていくとのこと。
2022年の冬季五輪に日本代表として選ばれることを楽しみにしています。